怒らない、落ち込まない、迷わない - アルボッムレ・スマナサーラ
まただいぶブログをさぼっていた間に何冊か本を読んだ。
ひさびさ長老の一冊。
この本を読んだ目的、ねらい
仏教の教えに触れる時間を定期的に持つことが大切だと思っている。わたしの場合はそれが本をであって、日ごろの自分の考え、行動をチェックするきっかけとして使っている。その一環。特に長老の本は説法を直接聞いているようで、本当に心に響く。
読んで響いたこと、新たに知ったこと
- 「時間」は存在しない。「忙しい」も妄想。「いつか」も「そのうち」も「過去」も存在しない。だから「いま」に集中する。
- 遺された人間が故人のためにできることは、目の前の出来事に精一杯取り組み、精神的に徳を積むことだけ。
- するべきは「後悔」でなく「懺悔」。「懺悔」とは、自分の過ちを認め(このときに感情は入れない。事実だけを見つめる)、二度としないように気持ちを切り替えて、新しい一歩を踏み出す。
- 年を取る、老いる、死ぬ向かって生きていくという現実を素直に認めて認識できる人こそ、この世で最も幸せに生きられる人
- 「生きる」とは生きるためにしている無数の行為の総称に過ぎず、実態がある訳ではない。考えるべきは、「何のために生きるのか」ではなく、「どのように生きるべきか」
- 大人の条件とは、いま自分が何をすべきなのか、どうしたら最善を尽くせるのか、常に考え判断し実行できること ー 成長の歩みを止めないこと
- 子どもが一定の年齢になったら、無理にでも独立させる
- 自分がちっぽけな、不完全な存在であるという事実を受け入れ、それを楽しむ
感想
(いい意味で)長老の本はどの本も最終的には同じことが書いてあって、ただそれを手を変え品を変え、人々に分かりやすく説いている。
ただ、それらを何度も何度も折に触れ読み、心に刻み込ませないと、なかなか日々の生活では実践し続けることができない。
結局人の心は怠惰であり、きちんとコントロールが出来ないと、どんどん悪い方向へ流れていってしまう。それをコントロールする考え方が仏教の教えであり、まずは知ること、そしてその瞬間から教えを実践し、定期的に振り替えること。
この積み重ねで、少しずつ「良い生き方」が出来るようになっていくのだと思う。
お釈迦様の教えを知るようになってから、本当に本当に少しずつだが、「良い生き方」とは何か意識するようになり、日々の行動が変わってきた気がする。
(と書いた瞬間に仕事でイラっとするメールが来てムカついてしまうという失態。修行が足りないw)