だから仏教は面白い! - 魚川祐司
だから面白い!
ああ本当に面白かった。
著者は「いわゆる」仏教徒ではないそうだが、日本の大学院で仏教を研究し、そしてミャンマーでテーラワーダの教理と実践を学ばれているとのこと。
「ブッダの教えを説く、広める」長老とはまた違うスタンスで、テーラワーダに関わらず仏教全体を俯瞰して、そして「信じる」仏教ではなく「知って実践する」仏教というスタンスで書かれているのもまた良かった。
特に輪廻とは、悟りとは、ということに関して初学者にも非常に分かりやすく丁寧な解説がなされている。
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- この本を読んだ目的、ねらい
- 読んでよかったこと、感じたこと、新たに知ったこと
・大乗仏教とは「同人運動」。大きな傾向性を挙げるならば「現実性の重視」
・「我」とは「常一主宰」、つまり常在であり、単一であり、主としてコントロールする機能を有するもの。
ブッダがよく出す例として、「色(身体)が我であるならば、その身体が病にかかるはずがない」
「私」を含めた現象は思い通りにならないものである以上、それはコントロール不能であるから常一主宰の実体我ではない。=「無我」
但しブッダは眼耳鼻舌身意/色声香味触法という各要素によって構成されている認知のまとまりが、流動変化を続けつつも「各個人」に一セットずつ存在しているということを否定している訳ではない
・輪廻(サンサーラ)とは、精神的・物質的現象がひたすら先行する条件、あるいは業によってずっと継起を続けていくということ。ナーマ(精神的な現象のプロセス)とルーパ(物質的な現象のプロセス)が縁起の法則の下に生成しては消滅し、生成しては消滅するというそのプロセスがずっと続いていくということ。
・いわゆる「悟り」、「解脱」というのはサンサーラのプロセスそのものを如実知見することによって生じる
・仏教に関わろうとする人の全てが輪廻転生を必ず信じなければならないということではないが、ブッダの仏教をそれ自体として理解しようとするならば、彼は業と輪廻の世界観を前提として語っていたと考えておく方が、少なくともテクストの素直な解釈としては正しい
・認知の構成要素について、これは「私」の認知だと捉えること、言い換えれば「我執」存在することによって、現象が「ただ現象のみ」ではなくなって、我を焦点としたイメージ(物語)を形成し、それが織り合わされて「世界(ローカ)」というものが成立している
・「考え方を変える」以前に、その「考え方」の前提となっている認知のほうを変更しない限り、いつまで経っても私たちは同じところをぐるぐると回り続けるだけになる。仏教の実践はその袋小路から脱出するためにある
・仏教における「如実知見」の認知というのは、最終的には「信じる」ものではなくて、自ら「知る」ものだということ
・仏教というのは、戒学・定学・慧学という三つの基本的な学を修めることによって、修行者を「悟り」へ導くもの
・「無我」ということでブッダが伝えようとしたかったことの一つは、「欲望や衝動は単に縁によって、つまり原因や条件にしたがって心の中に生起しているものにすぎないのであって、それを『あなた自身』だと思ってはいけない」ということ
・自分が条件づけられた存在であるということを、微細なレベルに至るまでありありと「如実知見して」、無意識な反応の奴隷状態であることから脱却し、「己こそが己の主人」になりなさい、と教えるのがブッダの仏教である
- この本を読んで、自分は今から何をするか
・瞑想の実践(いまだに習慣化されていない)
・同じ著者の「仏教思想のゼロポイント」「自由への旅」を読む
- 3ヶ月後には何をするか、どうなっていたいか
理論と実践の両方から仏教を学び続けている
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