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pekoriperoriのブログ

主に読書、美味い店、旅行の記録と日々考えていることのメモ。知り合いには教えない予定。

ブッダの幸福論 - アルボムッレ・スマナサーラ

ここ数ヶ月で読んだ本の記録を全く取っておらず、まずはこれから。

スマナサーラ長老の本の中でも、特に学び多く響いた一冊だった。

特に仕事に関する記述、生きる意味に関する記述は、人生観を変えるレベル。

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以下、自分用メモ。

・生きていく上で必ずやらなければならないことは、学ぶこと、仕事をすること、社会との関係。

・「好きを仕事に」ではない。「できるから楽しくなる、好きになる」が本当。好きを仕事にしてしまうと、人間の好みはコロコロ変わり一定しない為、今好きな仕事があとから嫌いになることもある

・「生きる意味」はない

・どんな小さな仕事でも人の役に立つ。逆に人の役に立たないものはただの趣味。趣味とわがままに自分のエゴを喜ばせる為だけのもの。人間には仕事以外の趣味は必要ではない。仕事そのものが大変神聖なもので、ものすごい充実感が溢れている

・ある一人の生命を完全に自分が面倒を見るのだと覚悟するならば、自分の性欲をその人といっしょに満たしても構わない

・自然の法則でハードルを乗り越えられないほど弱くなるまで、死に挑戦し続けることが、生きること。ブッダは悟りに達することが死に打ち勝つことだと説いている。そうすればハードルを飛び越えるのではなく、「一切のハードルを乗り越えた」ことになる

・人生について「生きることに尊い意味があるのだ」という勘違いの人生論を作ると、生きることに執着し、罪を犯す。そして無知と生きていたいという欲(渇愛)のエネルギーが限りなく溜まり、そのエネルギーによってまた新しい生が瞬時に形成される

・すべては無常であり、生きることに執着することは無意味であるという真理を発見=智慧

智慧がある=無知がなくなる→生に執着すべきでないとわかる→渇愛のエネルギーがなくなる→解脱・涅槃を体験する=輪廻転生して苦しむ人にとっては究極な幸福→これは今生きているうちにできる

「涅槃に挑戦する」と決めた人の人生にだけ、生きる意味が生じる

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最近思うのが、仏教は一般的には宗教のカテゴリに入れられるが、初期仏教というのは宗教ではなく、哲学なのではないかと。

自分自身、別に仏教を信じているという感覚はなく、哲学として自分の生きる道に取り入れていきたいと常々考えている。

まあ「自分の」とか言っている時点でまだまだ全然わかっていないんだけども。。。

 

読んでしばらく経つけれど、今ざっと読み返してみてもまた深く感動。